2016年8月7日 説教 「贖われた者の王国」【英語説教日本語訳】全文 ーリブログー

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「彼らのために祈りましょう」が心にドンと響いてきます。
(リブログを一度やってみたかったのです…亨進様の説教はいつも本心にビリビリきますが今回もとりわけそうでした。)

サンクチュアリ NEWS

Kingdom of the Redeemed   August 7  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png



翻訳:Bamboos 編集:管理人
贖われた者の王国

ルカ8章から王国の聖句について続けてみていきましょう。短い部分ですが多くの内容があります。1節から3節まで一緒に読みましょう。

ルカによる福音書 8章
1:そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。2:また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、3:ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

この聖句を見たことがある人はいるでしょうか。素晴らしい内容ですね。もちろん福音というのは神の王国についてのものだということがわかります。イエス様は神の国についての福音を説いたのです。

イエス様は何名かの女性信者とも一緒に旅をしていました。彼女たちは悪霊や病気から癒されていました。これは非常に重要なことです。次のように言うことができます。

自分に病気があることを知らないなら、癒されたことを感謝することはできない、ということです。仮にあなたに重い病気があるのに自覚がないところに誰かが「あなたの症状からすると癌にかかっているようだ。これが治療薬です」と言われたとすると、いわれた人は、実際、侮辱されているように感じます。自分が病気だと分からなければ、「何を言っているのですか?癌なんてありません」と言うでしょう。そのように侮辱を受けるというのです。

私はリビング・ウォーターズのビデオを制作した伝道師のレイ・コンフォートについて勉強していました。とてもすばらしい伝道師です。カーク・キャメロンと、あるシリーズを作っています。カーク・キャメロンを知っていますか。何と言う番組だったでしょうか。80年代でしたか、その番組で、十代の役を演じて彼は人気者でした。彼は今非常に信仰の篤いクリスチャンとして、伝道師レイ・コンフォートと一緒にリビング・ウォーターズの活動をしています。彼らがこの問題についてのすばらしい例を挙げていました。

例えばあなたが飛行機に乗ろうとしていて、誰かがパラシュートを渡したとします。「これがあれば空中で快適になりますよ」と言って。そして、あなたはそのパラシュートを受け取って身に着け席に着きます。あなたは大きな荷物を身に着けていて、席のところでもじもじしています。シートベルトが締めにくいですし、背中を丸めているのでリラックスできません。ですからあまり快適ではないのです。それで飛行機に乗っている人が皆あなたを見て、「あの人はどうしたのでしょうね。パラシュートなんか付けて」と言います。十代の子供があなたを見てこんな風にクスクス笑います。それで席に着こうともじもじしていると、客室乗務員が熱いコーヒーをあなたの上にこぼしてしまいます。

そういう状況であなたは「もう、このパラシュートなんて外してくれ!」と言うでしょう。あなたはこのばかげた状況に腹が立って、人々にもばかにされ、イライラしますし、コーヒーは熱いし、そしてそれは全部ばかげたパラシュートのせいなのです。

さて、飛行機に乗っていると誰かがパラシュートを渡して「あなたはこれから2万フィートの高さからジャンプします。だからこれが必要です。ほら」と言います。それであなたはキャビンに向かい、パラシュートを付けます。あなたを見て人々がばかにしたり、いろんなことを言ったりしても、それがどうしたというのでしょうか。私はこれから2万フィートのジャンプをするのです。そんなことどうでもいいのです。飛び降りようとしているのですから迫害を耐え忍ぶことができます。

言っていることが分かりますか?
そしてこれが現在の教会の問題です。
全世界のキリスト教の教会の現在の問題は、彼らが次のようなことを語っていることにあります。

「あなたは生活をもっと快適にするためにイエス様が必要です」

「平和と喜びと充足と幸福を得るためには、キリストとキリストとの関係が必要です」

それは聖書が約束している内容ではありません。聖書の約束は、試練、患難、迫害です。問題なのは、「パラシュートのようにイエス様を身に付けさえすれば、もっと快適に人生を送れますよ。平和と喜びと幸福がもっと得られます」ということを言っていることです。彼らはパラシュートを付けてそれを実験しますが、それは本当のことです。パラシュートを付けて飛行機に乗ると人々がみなばかにします。

「イエス様が平和と喜びと幸福をくれるはずだと思ったのに、どうしてこの人たちは迫害してくるのだろう」と彼は思います。それでコーヒーを持った客室乗務員がやってきてドンとぶつかると、彼は神の名を上げて罵ります。そして「パラシュートなんて付けない!」と言うでしょう。一方、人々は、いつか飛行機から飛び降りなければならないのだということを理解しなければなりません。2万5千フィートの高さに来て、あなたも飛び降りることになります。飛び降りるときがきます。飛び降りなければならないと言われたパラシュートの男性は、患難と試練を耐え抜くことができます。嘲笑を耐えることができます。なぜなら飛び降りなければならないことを知っているからです。落下してパラシュートがなければ、死ぬのです。

パラシュートを付けて、辛うじて生きたほうが良いです。そうですね。ですから最後の目的地を持つということがとても重要です。それは何でしょうか。私たちが死んだあとの最後の目的地です。神様と直面したとき、その審判に向き合わなければなりません。神様の正義に向き合わなければなりません。しかし、私たちが十戒を見てみるとき、神様の法の鏡に自分を映してみるときに、それは自分の罪深さという現実をもたらします。聖書には信仰が救いをもたらすとあります。キリストを信じること、キリストの関係性、これが私たちに救いをもたらします。祝福が肉的な救いをもたらすことを私たちは知っています。しかし、同時に、律法によってなぜ私たちがそれほど神様を必要としているか再認識することができます。

皆さんはリビング・ウォーターズのビデオを見たと思います。

無神論者に「あなたは自分が良い人間だとおもいますか?」と尋ねます。
無神論者:「私は良い人間です」
「何回うそをつきましたか?」
無神論者:「数えきれないぐらいつきました」
「嘘をつく人を嘘つきと呼びます。あなたは嘘つきということになります。ではあなたは大きさや価値がどんなものであっても、小さなガムでも、何かを盗んだことはありますか?」
無神論者:「ありますよ」
「物を盗む人を何と呼ぶでしょう。泥棒ですね。ではあなたは泥棒ということになります。では、神の名をみだりにあげて罵ったことがありますか?」
無神論者:「あります」
「ではあなたは冒涜者ということになります。イエス様は情欲を持って女性を見る者は、心の中で姦淫を犯す者だとおっしゃいました。そうしたことがありますか?」
無神論者:「あります」
「それでは姦夫ということになります。では、あなたが自分で認めた内容から、あなたは嘘つきで、泥棒で、冒涜者で、姦夫ということになります。それで神様と出会ったときにどうなるでしょうか。天国にいくでしょうか、地獄に行くでしょうか?」

多くの人は「私には罪があります」と答えます。中には「神様は許してくれると思います。だから天国に行けると思います」という人もいます。神様は善であり、善の裁判官です。例えばあなたが何か法を犯して法廷に立ったとします。そしてあなたは「裁判官、そのような罰を与えないでください。なぜなら私はあなたが良い方だと知っていますから。あなたが許して下さると知っています」

すると裁判官は本当に良い人で良い裁判官なのですが、こう言います。「残念ですがあなたは法を犯しました」そして良い裁判官は犯罪者を牢獄に送るのです。神様の律法の光は、私たちがどれだけ堕落しており、私たちがどれだけ悪く、私たちの心がどれだけ悪いか気づかせてくれます。

イエス様は、誰かを憎むならそれは心の中で殺人を犯しているのだとおっしゃいました。ですから法によってのみ、私たちは自分たちがとても堕落していることがわかります。もちろん私たちはそれを見たくありません。

朝、鏡を見てみましょう。皆さんは朝起きたとき髪の毛が完璧ではないですよね。私は完璧ですが。 朝起きて鏡を見たとき、髪の毛はどんなふうですか。ゾンビ・ランドか何かみたいになっていますね。目の下がたるんで、顔が大きくむくんで、息も臭いです。鏡を見てみてください。鏡は、あなたがみんなの前に見せたくない顔を見せてくれます。そして何をするでしょうか。水で顔を洗います。

神様の法の鏡は、私たちをキリストの水へと導きます。キリストの血へと導き、私たちを洗います。私たちが自分の罪を自覚するとき法はそれ自体では救いを与えてくれません。ただ良いことをして、法に従うだけでは救いを受けられないのです。救いは信仰によるものです。そしてそれは肉的には血によるものです。しかし法は真の現実に光を照らしてくれます。しかし私たちは永遠の命の水の中で清められなければなりません。わかりますね。

多くの人が人間の基準で自分を審判しているのはおかしなことです。「私は良い人間です。ヒトラーに比べたら聖人です。誰かと比べてみたら・・・私はもっと悪い人を知っていますから。私はギャングではないし、人を殺していないし・・・」などと言います。それは自分を他人と比べて裁いているだけです。しかし、神様はそのように私たちを見ているのではありません。神様の善良性と完全性は、非常に完璧なものなので、それに比べると私たちはとても汚れて見えるのです。例えば子羊を緑の牧草地に連れて行って、子羊が草を食べているとそれはとても白く見えます。皆さんは本物の羊を見たことがありますか。それは灰色なのですが、緑の草と比べると白に見えます。それで今度は、白い雪にすべてがおおわれると子羊はとても汚く見えます。白い雪と比べると灰色なのです。そして神様は盗んだり、不倫をしたり、嘘をついたり、冒涜をしたりすることがありませんので、神様の法は、そのような神様の性質から来ていますので、神様の法に照らされると、きれいに見えていた羊は、もうきれいにはみえません。

なぜなら、背景として雪のような白さ、つまり神様の完全性がそこにあるからです。わかりますね。これらは霊的な内容です。聖書には、暗闇にいる者は霊的なものを聞くことが出来ないとあります。年齢にかかわらず、様々な世代の人々がいますが、現代の法律の中で、暗闇の中暮らしています。彼らは自分たちが善人だと思っていますが、神様の完璧さ、神様の雪のように白い善良性と神の法に比較すれば、まったくの罪人なのです。私も皆さんもそうです。その違いは、それを認識してキリストを信仰しているということです。自分の義によってではなく、キリストの雪のように白い完全な義によって、キリストを身にまとうのです。自分によってではありません。自分がこの法に従うからとかいうことではありません。キリストによるものです。それによって私は今美しいのです。力強く、キリストに対して何でもできます。別の被造物です。

見てください。彼女たちは自分たちが病気だったと知っていました。癒しが必要だとわかっていました。実際自分たちが病気だと知っていたから、癒されたことを感謝することができました。

医者が来てあなたは余命2カ月だ、ひどい癌か何かだと知らされれば「どうしてそんなことが…」と憤慨します。「しかし治療法があります。そして保険で賄えます」と言われたら、「ああ神様を称えます!」と言います。とても幸せになります。大喜びします。誰かがそのために犠牲を払っています。その癒しのために誰かが犠牲になっているのです。

それが神様の愛です。それが十字架の犠牲です。それが一万の十字架です。結局、私たちが自分の病気に気づかなければ、あるいは、キリストを迎えるとはただ霊界で目的の地にたどり着くまで地上での人生を向上させるものにすぎないと思っているだけなら、つまり飛行機内での生活を向上させるだけだと思っているなら、私たちは苦しむことになるでしょう。

一方、本当の信仰者やキリストと関係性を持った人は、このように理解しなければなりません。

「いやいや、私は2万5千フィートで飛び降りますからこのパラシュートが必要です。熱いコーヒーがかかっても、嘲笑され、ばかにされても、飛び降りるときにはどうでもいいことです。」

わかりますね。皆さん。

私たちは自分が病気で治療が必要だと確認することが重要です。

これは家庭詐欺連合でできなかったことなのです。韓お母様のことをよく考えてみると、なぜあのような狂ったことをしたのか、自分を神として讃えるのか、それはまさにこの点にあります。彼女は自分が不義な罪人だということが分かりませんでした。自分が堕落していると認めることができませんでした。憎しみを持って心の中で殺人を犯していました。心の中で情欲を持って姦淫を犯しており、そして実際にカルト儀式を行っていたことがわかりました。

お父様がおられないときに、お父様以外の霊との間で結婚式を挙げていました。それはもちろん不義の結婚です。お父様に隠れて別の霊と結婚する儀式を行うとすれば、それを何と呼ぶのでしょうか。それは堕落です。それは堕落なのです。どうしてこのようなことをするのでしょうか。お父様を押しのけて椅子に座って、このようなことすべてを。信じていませんでした。わかっていませんでした。自分には救い主が必要だということを。神様の前に義とされるためには、自分にメシヤが必要だと言うことをまったくわかっていませんでした。自分でできるのだと思っていました。自分の努力と意志で自分を清くするのだと。神様の愛によってではなく、神様の恩寵によってではなく、自分の力によって。

そのような道を歩む者は誰であっても、今わかるように、まったくの破滅に終わります。原理を変えたり、指輪から名前を取ったり、このようなことすべて、なぜでしょうか。お父様が自分の救い主であるなら、神様が義を持って自分を見ることができる理由であるなら、お父様が、神様の正当な正義、完全に公正な正義の前に正当化される理由であるなら、どうしてお父様を捨て去るのでしょうか。どうしてお父様を消し去ろうとするのでしょうか。どうして誓約からお父様を消し去るのでしょうか。自分を2千年のキリスト教の歴史の・・・宣言する云々・・・どうして教え全体を変えるのでしょうか。自分の型にはめるために。どうして自分を神様として讃するのでしょうか。

「サタン世界と分離した神様の娘として、独生女が生まれなければなりませんでした。私が以前話したように、2千年のキリスト教の歴史は神様の独生女を探すための摂理歴史だったのです」(訳注:韓お母様のスピーチのスライドを見せながら)

とにかく、家庭詐欺連合がキリスト教徒にこのような内容を正気で話せるとでも思っているならそれをこう例えるのが適当でしょう。

彼ら(家庭連合)はコカインを吸っている。ヘロインでもコカインでも何でも良いです。とにかくコカインを吸っているのだと。
コカインの中で泳いでいる。なぜなら誰も真剣に受けとめる人はいないからです。それは正真正銘の異教であり、異端です。まったくの神聖冒涜です。

さて、これはもちろん十戒が出てくるところです。出エジプト記の20章。通常は覚えやすいように短縮されています。

私以外の神を持ってはならない。偶像。みだりに主の名を唱えてならない。安息日。父と母を敬う。殺人。盗み。姦淫。偽証。ですから、より小さい形にしてすぐに覚えられるようにしています。しかし、これは出エジプト記20章から来ています。

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」

他のすべての戒めが破られるのは、この戒めのためです。すべての戒めは、この最初の戒めにつながりがあります。真に善の根であり、愛である真の神様以外に別の神様を持つようになると、他のすべての戒めも破られるようになります。この戒めが破られると、他のすべての戒めも破られます。これはずるい戒めです。なぜならこの戒めは必ずしも明示される必要はないからです。出てきません。誰かを殺す場合、はっきり出てきます。嘘をついたらいつか誰かがそれを突き止めます。しかし、この戒めについては自分の心の中に隠すことが出来ます。分かりますね。心の中に隠し、他の人からも隠すことができます。朝起きて化粧をするように。同じようにこれを隠すことが出来るのです。別の神を持っていることを。

どういう意味でしょうか。イエス様は心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして神様を愛しなさいとおっしゃいました。自分に関することのすべて、体中のすべての細胞は、神様を愛するためだというのです。それほどまでに強く神様を愛さなければならないということです。

他にどれだけのことが邪魔になるでしょうか。他にどれだけのことがその位置の障害になるでしょうか。エンターテインメント、ゲーム、ドラマ。私たちが最も日常で費やすことは何でしょうか。仕事でも何であってもです。良さそうに見えること、成功など何でも。どれだけ頻繁に私たちは本当に神様を愛しているでしょうか。果てしなく、絶え間なく、止まることなく、心を尽くして、意志を尽くして、精神を尽くして。その代わりに私たちは、あれがこうだ、これがどうした、そうでないなどといってあれこれ思い悩んでいます。ですから私たちがこの最初の戒めを破ると、すべてが次第に消えて行きます。すべてがますます罪の中に滝のように落ちていきます。

韓お母様を見ればそれがわかります。それは今出てきていることだけではなく、韓お母様はカルト儀式を行って、神様以外の霊と結婚式を挙げていたのです。それはもちろんサタンのことです。神様以外の他の霊であるとするなら、それは何でしょうか。それはサタンということになるでしょう。神様以外の霊、それはサタンあるいは悪魔、何らかの悪魔、真の神様から離れたものです。彼女はこの存在と結婚しただけでなく、もちろんそれによって家庭詐欺連合全体が呪いを受けたわけですが、そればかりか自分が救世主であり神だと信じているのです。今の世の中で「神様を信じるなら天国と地獄が存在すると思う」という話を聞いたことがある人がどれぐらいいるでしょうか。それは「現実を信じるならこの椅子は存在します」と言っているようなものです。ですから、多くの人がそのようなことを言います。

「私の神様はそのようにしません」
「私の神様はこのようにします」
「私の神様は・・・」

それは神様を作っているのです。自分の罪があるのに自分がもっと居心地がいいように、自分の罪を正当化するために、それが何のためであろうと神様を作っています。それは神様ではなく幻想です。

本物の幻想である神様は完全で公正です。ですから、完全性と正義の中で私たちは皆判決を受けます。残念ですがすべての人がそうです。うそ、盗み、冒涜、姦淫。神様の完全な義だけが私たちを守ってくれます。神様の完全な義だけが法に照らして100パーセントの評価の合格点を得られます。それだけです。それ以外はすべて、マイナス5、10、20、10万、となります。生きた神様の完全性だけが100パーセントの点数を取ることができます。そして天国に入るには100パーセントの点数が必要です。霊界に行った後、完全に神様と近くなるために必要です。

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」
そこから他のすべての罪が生じます。韓お母様が行った一連の内容を見るならば・・・。人々は今も私たちがでっち上げているとか、辛辣で怒りに満ちていると言えるでしょうか。いいえ。

こちらを見てください。「偶像を作ってはならない」

私たちは彼女が、真の父母様の写真を女帝となった自分の写真と入れ替えたことを知っています。韓南洞でやりました。清平でやりました。極めて公の場所ではやりませんでしたが、人々やスタッフが皆わかるような公の場所でやりました。そのために多くの韓南洞のスタッフが秘密でお父様の権威に戻る祝福を受けています。彼らはそのような馬鹿げた行為を見たからです。

「主の名を悪用しては(みだりに唱えては)ならない」

韓お母様が何を最初にしましたか。神様の名前を変えました。天の父を天の父母に変えました。なぜでしょか。それは彼女が、自分が神として含まれることを望んだからです。まさに最初の「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」に抵触します。彼女は神様になりたかったのです。自分自身の心の中で組み立て、自分自身の神学、自分自身の支配権を作ろうとしています。

なぜなら、私たちは今、彼女がサタンと結婚したことを、つまり金孝南がつかさどる結婚式でカルト儀式を実際に行ったことを知っているからです。 それは黒死病と結婚するようなものです。癌ウィルスと結婚するようなものです。わかりますか。正気ではありません。癌になっても驚かないでください。それと結婚したのですから。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ」

お父様が毎日公的な訓読会を行っていたことを思い出してください。なんと書いてあるか見てみましょう。

「あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」

思い出してください。お父様は毎日訓読会をされました。私たちは全員そこにいました。息子、娘、メイド、犬。私は訓読会に犬を連れていきました。私の犬は何時間も訓読会に参加しています。しかし、それでも犬には天国に行く権利は与えられません(笑)。神様は犬を見て喜んだでしょうが、犬は天国に行く権利はもらえません。お父様が聖和されてどうなったでしょうか。公的な訓読会をやめてしまいました。神様のみ前に集い、み言葉を訓読するために集うことをなくしてしまいました。もう行われません。

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである」

人間的に父と母を敬うべきでしょうか。それとも神様の立場から見て父と母を敬うように命令されたのでしょうか。その答えは単純です。

家庭詐欺連合の多くの人が私に「あなたは自分の母親を敬っていない」と言って攻撃します。私は、神様の目から見るとき母を敬っています。なぜなら、母は異端者になってしまったからです。多神教者になってしまいました。ですから、もし私が母に対する真の愛を持っているなら、母の永遠の生命について、それがひどいことになると伝えるでしょう。なぜなら母を愛するからです。分かりますか。「あなたは良くなります。大丈夫です」とは言いません。

それは、車にワックスをかけていて、足元で子供が溺れているのに「心配しないで。大丈夫だから」といいながらワックスをかけ続けているようなものです。もし愛があるなら、走って行ってその人を助けます。

なぜ韓お母様と争わなければならないのか。なぜ彼女に真実を伝えなければならないのか。

なぜか?

それはお母様を救おうとしているからです。そこに駆けつけてその人を水の中から引き出して、頬を叩き続け意識を回復させてから立ち去るようにします。できることはあまりありません。最後には彼らも決断しなければなりません。しかし、なぜ私たちは彼女に挑まなければならなかったのでしょうか。愛はその人を救おうさせます。彼女はまさに崖っぷちに立って自殺しようとしています。崖っぷちでお父様に隠れてサタンと結婚しようとしています。

「あなたは素晴らしいことをしましたね。お見事です」と、こんなことを言うことが愛することだと言います。頭がおかしくなっています。 いいですか、これが問題です。家庭詐欺連合は、すべて知っています。それが本当だと知っているのです。しかし、彼らは自分たちが盗んだ資源、お金を正当化しようとしています。それは私から盗んだものです。なぜなら私が相続者であり、後継者だからです。彼らはお母様にそれを使い果たさせるようにして、おこぼれにあずかろうとしています。そういうことです。それが本当の理由なのです。もし自分の母が異端者や多神教者になってサタンと結婚しようとしていたら、何か言わなければならなのだと彼らはわかっています。「ああ、すばらしい!支払いがずっと来るようにしましょう。お母様」と言ってはいけないのです。「搾取したりすれば死んでしまいます!」「お母様、やめてください!」と言わなければならないのです。お父様は彼女の新婦であるだけでなく、彼女の真の父でもあるのです。

それで、韓お母様がお父様を冒涜し、指輪から消し去り、八大教材教本を書き換えて、そのようなすべてを行ったとき、新婦、お父様、救世主を敬っていたでしょうか。彼女が金孝南のつかさどる、別のカルトの霊との結婚式をお父様に隠れてしたとき、それはお父様を敬っていたでしょうか。なぜこのようなことが起きたかわかります。権力が人を堕落させ、次のような誘惑で引き付けます。「いつか自分がすべてを所有するのだ。いつか自分を主と宣言するのだ。皆が自分を崇拝する」それは反対です。

そのような欲望は何を育てるでしょうか。憎しみを育てるのです。何に対する憎しみでしょうか。賛美に値する方に対する憎しみです。それは、唯一の賛美に値する方、 キリストに対する憎しみを育てます。それはお父様です。

「どうしてあの権力を持てないのか。どうしてあの栄光を持てないのか。私の時代が来た」愚か者たちが言っていることです。「今こそお母様の時代です」と。

何を言っているのかというのです。すべての世代が神の時代を待っています。すべての世代がキリストの世代であるべきです。罪人がいつもそういうことを言いだすのです。そのようにして世界は均衡を保ちます。そのようにして神の国は来ます。「自分の時代」などというものによってではありません。

「自分の番だ。」

違います。
あなたは盗み、姦淫を行い、冒涜者であり、あなたの時代ではありません。あなたの時代には決してなりません。それを捨てて神様にその栄光を捧げるべきです。そうすればあなたの生命には力があふれ、天の恵みを得て、祝福を受け、迫害されてもパラシュートが助けてくれます。飛び降りれば開くのです。

それは憎しみをもたらします。賛美に値する方への憎しみです。「自分もそれが欲しい!」というようになります。文字通り彼女は私たちに叫びました。

天正宮のテレビルームで話していたとき、國進兄さんが「あなたは皇太后として、真のお父様の決定を敬わなければなりません」と言いました。すると顔を真っ赤にして怒りを爆発させ「私が絶対権力だ!」と叫びました。私たちはこんなふうに唖然とし、顔を見合わ せて、「今のを見たか」と。それはまるで映画やドラマのようでした。私たちは彼女が取り憑かれていることが分かりました。霊が憑いていたのが分かっていました。それは正気ではありませんでした。それは権力に正気を失った人のようでした。私たちが知っている母ではありませんでした。完全に取り憑かれていました。

何かが入ってしまって・・・今は何が起こっていたか、なぜなのか分かります。実際サタン的な霊と結婚式を挙げていたのです。自分の名前を血で契約書に署名するかのように。

それで何が起きたでしょうか。彼女は憎みました。賛美を受けている方を憎みました。それは真のお父様でした。

そういうわけで、病院で行ったようなことができたのです。金孝南と。「お父様は回復の見込み。はないでしょう。プラグを抜きなさい」分かりますね。その憎しみ。

「あなたは殺してはならない」「あなたは姦淫してはならない」

あの狂ったカルトの結婚式。いい加減にしてください。周りにいた人は何も・・・周りにいた人はこう言うべきだったことでしょう。「ああ、これはやるべきでないのでは」「もしかしたら、お父様がおられるときにやるべきでは」

「あなたは盗んではならない」

韓お母様がお父様を受け入れて栄光を捧げた日には、王権の勝利を宣言したことでしょう。彼女は何をしたでしょうか。王国全体を盗みました。もちろん盗んだのは、お父様が作られた物質的な王国でした。霊的な王国を盗むことはできません。なぜなら、霊的な王国は愛に基づいているからです。真の愛です。神様の愛です。ちょうどイスラエル部族と同じように二部族です。ほとんどいつも二部族でした。ヨシュアとカレブ。

北イスラエルと南ユダにおいても十二部族のうち二部族だけが主のために立ちました。注目すべき・・・それが再び、最も困難な時代にたった二部族だけ、十二名のうち二人の子供だけ、お父様が任命したカインとアベルが、立ち上がりました。他のものは皆お金のために・・・。それでお父様の遺産を盗みました。

「あなたは隣人について、偽証してはならない」

リーダーたちを送って、あの後彼らは最初に何を教えていましたか。「血統はもう関係ない、法だ。法が救いをもたらす」と教えていました。覚えているでしょうか。「血統でなく法統だ」と。梁昌植(ヤン・チャンシク)という一級詐欺師が私を除外するために説教していました。私を韓国で解任した後です。彼は韓国を訪れて「もう血統ではない」といっていました。なぜなら彼は王権が血統、お父様の息子によって保持されると知っていたからです。法統というのは法の継承ということです。「これが救いをもたらすものだ」と。自分の王に不利な証言をしています。

「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」

お父様が私に下さったものを、お母様がどれだけむさぼったか考えてみてください。「牛、ろば」と言っています。お父様が下さった物質的なものと同じです。

韓お母様を見てみると、十戒をことごとく破っています。しかし、オモニはまったく悔い改めていません。オモニと、お父様の権威のもとにある者たちとの違いは、われわれが自分が罪人だと認識している点です。私たちはそのことを悔い改めています。私たちは神様の喜びを理解することで神様を喜ばせようとしています。主の喜びが私たちの喜びです。私には異なる力があります。なぜなら私の喜びは自分の中にありません。私の喜びは私の父の喜びの中にあります。ですから私の力は常にあなたの力に打ち勝っています。あなたからの力が来ても、私が常に勝利します。なぜなら私には超自然の力があるからです。今起こっていること、およびすべての今後の経過はたちまち爆発的展開を見せることでしょう。

何度もお話ししましたが、自由と責任の王国においては、自然と十戒に従うようになります。事実、興味をそそられるのは、誰かに神様について話すとき、彼らは心の中であなたと議論しようとします。それはなくなりません。「あの聖句はこうだ、この聖句はこうだ」

しかし、彼らに「嘘をついたことがありますか?」と聞くと、「はい」 「盗んだことはありますか?」「はい」「情欲を持って異性を見たことがありますか?」「はい」何も議論しなくても、自分で認めた結果、嘘つき、泥棒、冒涜者、姦淫者となります。

私も同じです。私もその法に照らせば罪が認められます。私たちも認めるのです。違いは、私には、自分によってではなくキリストがいるので、義があるということです。神の国において・・・考えてみてください。天一国憲法では、神様のことを言っており、聖書について言っており、原理について言っており、王の王である真のお父様について言っており、神の国について言っていますが、そのような文化の中でさえ 天一国憲法を感謝するような文化があります。なぜなら、あなたが楽しむすべての自由、そしてすべての繁栄、規制がないこともすべてその天一国憲法から来たものだからです。その法律から来たものです。

それは何か?お父様から頂いたものです。お父様の王権です。それが天一国憲法に描かれた人権の根です。それは神様から自然に来たものです。政府によってではなく、憲法によってではなく、神様によって与えられた生来の権利です。信仰の自由がある状況においてさえ、天一国憲法は聖書や原理について、真のお父様の王権について、王の王、ヤハウェ、聖書の神についてはっきりとしているために、あなたが自由を感謝し、繁栄を感謝し、相続税がないことを感謝し、そういったことをすべて感謝するなら、それを与えてくれた神様に感謝するようになります。

あなたを合法的に保護し、一方神様によって支配されているその文書に対して、あなたの良心は感謝の心を持ち始めるでしょう。そしてこのようなことは、あなたにとってより重要になっていきます。しかし、もちろん、自由と責任の社会において、そこに天一国憲法がなかったとしても、「殺してはならない。盗んではならない。隣人に偽証してはならない」などのような戒めに従う人々もいるでしょう。

なぜならすべての否定的な行動は破壊へとつながるからです。ビジネスをやっていてこのようなことをやっていては失敗します。顧客の世話をするのにこのようなことをしていたら失敗します。誰もあなたと取引をしなくなります。あなたの行動の自然な過程が十戒に従っていきます。あなたは完全にはなれませんが、あなたの行動はそれに従って行きます。神様を除いて誰も完全な人はいません。神様によって与えられた自然法、聖書では心に記されているとありますが、 神様が与えた憲法と人権は私たちの心に記されています。

どうして人は心の内で自分の罪を正当化するための自分に都合のよい神様像を作り出すのでしょうか。もし真実で善で正義の神が存在するなら、その神様に対して説明責任を持たなければならなくなるからです。あれこれ自由に楽しく過ごそうとする人生の上に重荷を背負わせることになるからです。だから人はそこに向き合うことよりもより気が楽になる幻を見続けることのできる方を選ぶのです。

神の王国では、自由と責任の場所であるために、自由意思を持っているので悪を選ぶ人々もいるということを私たちは理解しています。しかし、大部分の人は十戒に従って行動しなければならないでしょう。少なくとも十戒の後半部についてはそうでしょう。なぜなら成功するには他の方法がないからです。

被造物に記された、宇宙が運行する自然の法則があります。だましたり、嘘をついたり、むさぼったり、盗んだりすれば、それは自分に跳ね返ってきます。しっぽやお尻や足を撃たれることになります。もしかしたら三か所同時に。

ですから神の国では十戒に自然と従うか、求めるようになります。王国で完全に十戒に従うようにするというのではなく、ほとんど自然にそれを追い求めるようになります。それは王国の本質によるものです。十戒の後半部でも、追い求めるようになると、天一国の市民として愛国的な見方を持つようになります。すべての繁栄も憲法からもたらされ、憲法のために喜びを経験し、誇りと愛国心を感じるようになります。そして、この憲法は神様から来たものだとはっきり表現されます。 ですから神様を知るようになります。皆さん、お父様の権威に戻るための祝福は真の愛に基づくものです。

今、南アメリカで立ち上がった素晴らしい兄弟がいます。ギルソン・オリビエラという国家リーダーです。なぜあちらこちらで、皆が人々をお父様の権威に戻そうとしているのでしょうか。独善的だからでしょうか。いいえ。どんな理由ですか。それは愛の為です。あなたのことを心配しているからです。あなたが永遠のときを過ごすことになるからです。そのようにあなたのことを考えている人は他にいません。私はあなたが永遠のときを過ごすことを心配しているのです。

あなたが神様から離れたら地獄に行きます。苦しみを受けるでしょう。神様のそばにいれば天国に行きます。私はあなたがトラブルに遭っているときに、あなたがどこに行ってしまうか心配しているのです。あなたが飛行機で快適かどうかなんて気にしません。あなたが飛び降りるときにパラシュートをつけているかどうかを気にしているのです。わかりますか。本当に救いを理解し、霊的な世界を理解する人は、愛に満たされます。愛が火のように彼らを燃やし尽くします。愛とは他の人がキリストとの関係性に入って来れるように助けることです。そして彼らは滅びることがなく、永遠の光を持つのです。

偽りの聖酒を見るときに、それは祝福結婚式ですが、誰が授けるのか考えてみてください。それは、韓お母様であり、そのオモニはお父様に隠れてカルトの姦淫の秘密の結婚式を行い、別の霊的存在と結婚式をしました。自分ではそれが神様だと思っていますが、もちろんそれはサタンです。その韓オモニが主礼をします。

それはあなたが自分の永遠の魂のすべてをその下に置く誓いです。

あなたはそのバッグを背負います。それは500キロの鉛のおもりであって、パラシュートではありません。なぜならあなたは誰かを怒らせたくないからです。「ああ、誰かが自分を嘲笑うかもしれない。誰かが自分にコーヒーをこぼすかもしれない」目を覚ましなさい!2万5千フィート、飛び降りるときです!わかりますか。私があなたを愛しているなら、その赤いバッグを取り去ってパラシュートをあげます。

「友達を失うかもしれない。もう日曜学校に行けない・・・」などなど。反対側に行ったら何かを飛ばすことになりますよ。飛び降りることを考えてください。そのばかげた飛行機の中で快適に過ごそうと考えないでください。飛び降りることを考えてください。

感情的なことを除外してみましょう。サタンと結婚した誰かの下で誓いを行う宗教にどうして入ろうとするのでしょうか。なぜそうするのですか。特にあなたが悪魔崇拝者になりたくないと言うのであれば。悪魔崇拝者になりたくないと言うなら、そしてサタンの誓いをしたくないなら、サタンと結婚した者に対して血の誓い、永遠の誓いを行う宗教に入り、従うのでしょうか。すべての感情を取り除いてください。個人的な感情や友情を取り除いて、純粋な統計データについて考えてください。

そのような運動に参加しますか。もちろん「NO」ですね。しかし、家庭詐欺連合の人々は文字通り正気を失っています。彼らは霊に憑かれています。自分が何をしているのか分からないのです。私たちは事実、人々の魂を理解し、愛しています。私たちは彼らに滅んでほしくありません。彼らに永遠の生命を持って欲しいのです。だから何だと言うのでしょうか。以前持っていたような高い地位もありません。しかし少なくとも永遠の生命はあります。永遠の生命を失うことのないようにして下さい。それは私たちが人々に祝福を受けさせようと出ていく際の心情です。

天聖経533でお父様が何とおっしゃっているでしょうか。

「それで、出発するとき、血統転換式をします。それを、自分の生命よりも信じなければならないのです。統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式として考えてはいけないのです。これは、死んだ立場から回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です」

別個の祝福を受けるなら、別個のカルトの例と結婚式をするなら・・・ 。「OK、私の生命を与えよう」というような話ではありません。

結婚です。それが自分の血統に影響すると思いますか。もしサタンと結婚するなら。考えてみましょう。もしサタンと結婚したなら。アダムとエバはまだ同じ生殖器を持っていました。彼らは前と後では同じものを持っていました。何が違ったのでしょうか。エバは悪魔とベッドを共にしたのです。

「私はあなたと結婚します。あなたと親密になります」と言うこと。想像してみてください。エバは実際にカルトの結婚式をしたのです。そのために、そのような誓いの下に至るときに、あなたは神様の血統から去ることになります。あなたは家に入れてもらえません。

あなたが何度、詩編の23編の「わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう 」を唱えても関係ありません。いいえ、家庭詐欺連合よ。あなたは私の父の家には入れません!入れないのです!偽物は偽物です。入ることはありません!ですから私たちは人々を祝福しようとするのです。なぜなら、自分の愚かさと弱さ、意気地のない臆病さのために、彼らが行く場所が本当に心配だからです。

「快適な空の旅をお過ごし下さい」

あなたはシートの下のパラシュートを着けていません。もし飛行機から飛び降りるなら、パラシュートを信じたほうが良いでしょう。パラシュートに頼ったほうが身のためです。あなたは500キロの鉛のおもりとパラシュートの違いを知っていると思います。一度飛び始めれば違いが分かると思います。それでは遅すぎます。

「どこで祝福を受けても同じでしょう」

誰にどんな誓いをしようとしているのか。この愚か者たち!
神様の前での結婚式と、サタンの前の結婚式では大違いだ。

「ええ、どちらかといえば・・・」

神様の祭壇の前で結婚しても、バフォメット(山羊の頭を持つ悪魔)の祭壇の前で結婚しても関係ないのですか。

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