パワフル(説得力のある)な教え

遅まきながら、やっと4月9日の質疑応答のビデオを見終わりました。
ここしばらく悩んでいたのですが、ハンマーで頭を殴られたような思いになった内容を、語ってくださっていました。
気持ちを整理して、少し前に進めそうです。

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その部分を抜粋してみました。

亨進様による国進様のみ言  58:39~1:00:24のあたり

昨日あった、韓国人のスモールグループで国進お兄さんがとてもパワフル(説得力のある)なお話をされました。

あなた方(韓)民族が、神様の選民であるというとき、それは、祝福されて全ての繁栄とお金があり、世界で最も富んだ人達である(べき)と考えていたでしょう?

皆さんは選民であるということが、どういう事なのかはっきり理解していません。

その意味とは、他の皆が天国に行くことができるようにと、あなた自身が代わりに地獄に行き、最も苦労の道を行かなければならないのです。

このことを、韓国人は忘れていました。

彼らは、外的なお金と権力にとても取りつかれていました。

本当の使命である、皆が天国に行けるようにと、自らが犠牲になるという事を、忘れてしまっていました。

とても強烈な内容を、国進お兄さんは話されました。

何故なら、彼らが最も繁栄し、豊かであり、選ばれし者で全ての祝福を受けたいし、崇拝されるべき、など、今だに維持したいと思っています。

「それは違う!」と。

あなた方は、選民というものがどんなものか理解していません。

皆が生きれるように、あなたが死ななければならない。

その使命を忘れてしまっている、堕落している。

それはとても強力な説得力のある教えでした。

ここでは韓国人の視点で語っておられますが、

この内容は私自身、神様の摂理を知りお父様に従うと自負する者にとっても同じであると感じます。

そして何より、この事を語っておられる、国進様ご自身が正しくその道を通過されておられるからこそ、語れる内容だと思いました。

亨進様も同様に。

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十を学び一を知る、一を学び十を知る

予告した時から気になっていた、火の粉を払え!のブログの記事“「御言葉」重視派への根本的な疑問”を読んでみましたが、想像していたのと違った着眼点でした。

それでもコメントも含め、改めていろいろ考えさせられる内容でもありました。

一言で感想をいうと、本末転倒にだけはならないようにしなければと思いました。

み言の究極の目的は再臨主である真のお父様であります。

極端な言い方をしてしまえば、み言を知らなくてもお父様そのものを信じ従えばそれで、神を知り真理に通じるということでしょうか。韓国で多くのおばあさん達がお父様を慕って涙を流しながらこられたのも、お婆さんのそれまでの人生で培った土台でお父様にお会いしただけで通じるものがあるということではないでしょうか。

マタイ9章「20するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。21み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。22イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」するとこの女はその時に、いやされた。

み言も霊的な要素があると思います。言霊という表現もありますが、目に見える文字だけでとらえると行き詰まるんだなあと感じました。

お父様がみ言全集全て読みなさいと言われたのは、以前 777 のブログの方も引用した聖句、

ヨハネの黙示録21:6“そして、わたしに仰せられた。「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終わりである。かわいている者には、いのちの泉から価なしに飲ませよう。” 

ヨハネの黙示録22:17“御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

というような意図を含んでいたとはいえないでしょうか?物理的に見て全ての人がそれを全うするのは、結構大変なことだと思いますが、初めから私たちの判断で制限するべきではないことです。

真の父母という意味や生涯で勝ち取ってこられた内容を、私たちのためにありとあらゆる方法と表現で分かりやすよう、膨大に示してくださったみ言。その意味で一言一句変えてはならないと言われるのはまったくそのとおりであり、重複しているとおもっても、語った時と場所が違っておられるのならそのこと(重複していること)自体が意味をなすと思います。

とてもシンプルな一言でも表されてもおられます。

為に生きる 

この一言に宇宙の根本原理があるとしても、それだけでは精神生活と社会生活を乗り越えるには足らないと思う人もいれば、この一言ですべて関連付けてとらえられる人もいるでしょう。


STEREOTYPE!

 

 

 

 

 

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自然に、とはしてみたもの

これがブログのタイトルなわけですが。

自然 って、私たちの世代では結構遠くなってる可能性ありませんか?いろんな意味で。(6500双です)

 

3回目の投稿になります。

3というのは三日坊主とか一般にも言われる様に

まず早々に来る峠ですね。

条件をたてるときも、21日、40日、120日の期間とあるなかで

最初の3日間というのが、本当に気合をいれて

全体を乗り切るために緊張と挑む姿勢がいります。

お相撲さんが、自分の顔面を立会い前に「パンパンッ」て

やってた記憶がありますが、そんな感じでしょうか。

ちょっと違うかな

 

ということで、すでにナーバスになっている自分に、これを書きながら

発破かけている状態です。

み言の収集力も表現力もないし、大した経験もありませんが

なんかふつふつと来るものがありまして。

それはテーマにもしている「お父様を求めて」というところから

来るのではないかと、今迷いながらも自分の中から囁くのです。

 

毎日アミューズメントパークに通ってる気分です。

ローラーコースター       目を閉じない様にするのが必死です。

上昇のときの緊張と高揚、

頂点に達してガッて下降する一瞬だけ感じる何とも言えない昇天感。

間髪入れず来る恐怖、シヌ~‼️ってなります。

そして順番を待ってた人たちを見たときの安堵感。

信仰というのは、中毒性があるのかもしれないです。

 

こんな感じでちょっと異質かも知れませんが、

それでもお父様は生きておられると、

最大にして最小の、ちっさい方の何かを証しできたらなぁと思います。

 

亨進様、國進様には本当に感謝申し上げます。

 

昔からおかしな状態ではありましたが、

お父様が聖和されてからは、何が起きてるか知らないながら

「一旦潰して、ゼロかやらないともうどうしようも無い。

誰かお父様の願いを真実に従い果たす人が出てこないかな~」

と思ってました。一地方の現場から見ても。

 

多くの困難を超えて、立ち上がってくださった二代王様に、

心より感謝申し上げます!

 

栄光在天!

 

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